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綿 山

 春秋時期に晋国の名士である介子推が母親を携え隠遁し、出仕を求めた君主の重耳に焼き殺されてしまった縁で、介山とも呼ばれている。50KM

延々と続く海抜2072 M の山並みで、その渓谷が深さ1000M 以上、険しい断崖絶壁が続き、青松、翠柏も備える有名な景勝地になっている。観光ポ

イントの正果寺古刹の境内に残った仏教、道教の修業者の即身仏がまれに見られないもの。

 清明節 (4月4日または 5 日) の前日は「寒食節」と呼ばれる。「寒食節」の由来は、春秋時代の忠臣として知られる、介子推の故事に由来

するとされる。 介子推は、国を追われた晋国の公子である重耳が復権するために力を尽くしたが、重耳が帰国して即位すると、それまでは一致協

力して苦難に耐えていた周囲の臣下が権勢争いを始めたのに嫌気がさして、重耳のもとを離れ、綿山に隠棲した。

  綿山はほぼ山西省の中部に位置し、太岳山の北側の部分である。省都の太原市に150キロ離れておる。

 重耳(後の晋の文公)は介子推を惜しむあまり、無理にでも出てこさせようとして山に火を放したところ、介子推は古木の洞で母と抱き合って焼

死していた。重耳は介子推の固い決意を見抜けなかった自分を悔やみ、綿山に介子推の廟を立て、 その町を「介休」に改め、 その命日を「寒食節

」と定めて火の使用を禁じたという。 その時から 火を使わず冷たい食品(寒食)を食べる習慣があ った。

 寒食節は漢民族が故人を偲び、祖先の墓参をする日である。唐代までは寒食節に墓参をしたが、宋代後、清明節と近いので、だんだん清明節と合

併され、清明節に墓参をした。

 

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